木地雅映子 『氷の海のガレオン/オルタ』 ピュアフル文庫

 『氷の海のガレオン』と『オルタ』の二作が収録されています。ここでは『氷の海のガレオン』について語ります。

アキ、あたしの言うこと解る?あたし、日本の言葉を話してるんじゃないの?  どうしてだれかの話した言葉のいちいちを、これはあたしの言葉に直すとこういう意味だな、 ああこれはこういうことかなって、頭の中で直さなきゃいけないの?(P.32)

 小学六年生の杉子は、「何をやっているのか、よくわからない」パパと、詩人のママと、読んできた本で培った「自分の言葉」でものを考える女の子。 家族や、母の友達アキコさん、音楽の先生多恵子さんなど一部の大人たちとは対等に話せる杉子ですが、 同い年のクラスメイトたちからは、変わり者扱いされています。

 言葉自体がさ、なんかみんなと違うみたいなんだよね。みんなもう色気づいてさ、かれが欲しい、とか、よく話してるの。 一度そういう話に、何かのはずみでなっちゃったとき、『斉木さんはどういう人がいい?って言われて、 『そんなつまんないもの欲しくない。』って言ったの。 だって「かれ」とかいう言葉はさ、もし結婚していない状態であっても、ママにとってもパパを表しはしないと思うんだ。 その言葉が表しているのは、くっついたり離れたりが激しくて、はやりものの、なんて言うのかな、なんにしろ、 つまんないものでしかないと思うんだ。そんなのあるだけムダでしょ?でも、そんなのはおかしいらしいんだ。 「かれ」とかいうものが欲しくない人は、どこか異常があるんだってさ。(P.30-31)

 杉子は、「変な奴」というレッテルを貼って自分を疎外するクラスメイトたちを、自分より程度の低い人間だと思いこもうとし、実際そう思っています。その一方で、クラスメイトたち「みんな」だって決して悪い子たちじゃないのだ、「みんな」の方が正しいのかもしれない、自分はただの異端者なのかもしれない、と悩んでもいます。
 杉子の悩みは、短期間で簡単に解決するものではありません。同い年の子どもたちと同じ教室で長時間過ごさなければならない「学校」に拘束される年齢の間はずっと、この悩みを抱え込むことになりそうです。
 この物語で描かれるのは、小学六年生の杉子だけです。彼女がどうやって子ども時代をやり過ごし、どういう大人になったのかは想像するしかありません。けれど、おそらく、作中の「わたしはちゃんとやっていくだろう」という言葉どおり、彼女は悩みながらもなんとか生きていくでしょう。「自分の言葉が、『みんな』の使っている言葉と違う」という、杉子と同じ悩みを経て大人になり、同じ言葉で話せる仲間を得た杉子の母親のように。
(子ども文学研究会、2007年度の部誌に載せた文章です)


読了日:2007/02/08 →日記での言及ページ その1(初読後)その2(単行本版感想)その3(再読時)


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