ガラスの麒麟(加納朋子)/講談社

 安藤麻衣子という女子高生が殺された事件を軸に、周辺で起きたさまざまな出来事を描く連作短編集。
 冒頭で起こる事件は悲惨で、少しずつ明かされる登場人物たちが持っていた痛みには切なくなるものの、 どの話にも救いが用意されていて、優しさやあたたかさに満ちている印象を受けました。


人の心はまるで難しい漢字みたいだって。書けなかったり、読めなかったり。 とにかくひらがなや、カタカナみたいなわけにはいかないんだ。だけどその分、強くなれるんじゃないかな。 いろんな読み方が出来たり、いろんな意味を持ったり、さ。(P.45)

 これを読んだ時、日本人でよかったなぁ、と思いました。日本語ならではのたとえだなって。


 ・・・安藤麻衣子の担任だった、小幡先生の視点で語られるパートは、舞台が女子校なのです。 今、女子校に通っているわたしにとっては、・・・なんというか生徒側として耳が痛くなるような箇所もあったり。

芳しくない成績というものは、それをもらう当人と同じくらい、裁定を下す側も気が重いということを、 生徒たちはちゃんとわかっているのだろうか。(P.70)

(前略)あたしは怒鳴り散らす毎日で、ヒステリーババアだとかオバタリアンだとか言われて、 (中略)ちょっと叱ればめそめそするし、目を離すと途端に悪さをするし、 ニワトリ並みに覚えが悪いし、そのくせしっかり根に持つし、愚かしいのにこずるいし・・・(P.83)

 ・・・思わずごめんなさいと謝りそうになりました。女子高生って迷惑な生きものだなあ(遠い目)。


死にたがるということは、つまり生きたがるということなのではありませんか?(中略)死を意識するということは、要するにそれだけ生を意識するということだ。(P.268)


読了日:2005/08/17 →日記での言及ページ


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